幸せを感じる方向への一歩をすべての人に踏み出してほしい

家族というより、「被害者」という言葉を私は選んで使ってしまった。家にいる間のことを思うと、そこに残っている私の魂はただただ、やつれた肉体のようにさえ思えるのだ。家はまだ家に居続ける住人の誰もが何もしない状態で、私はその人達のただ使われるだけの肉体であった、そんな気もしてしまう。思いやりがない、という暮らしはそういうことなのだろうか。
 私は今現在私と同じように生きている人達に対して、もっと楽に生きることを提案したい。今はネットの時代と言われているが、まだまだ昭和を生きている人もいる、と私は思っている。とかく日本人にとって「我慢」「忍耐」は美徳であり、もっと自分の幸せを考えて、と言ったところで、社会が許さない風潮もあり、幸せの追求の果てには孤独が待っている気持ちにさえされてしまう。そんなことはないのだ。そして、人によっては幸せを追求しながら社会にもまれ、学ぶことも多々あるはず。
 今の自分に最も適切な形で課題が出されるのだから、いつも最善の方向に進みながら出される課題を解いていったらいいのではないだろうか。「いつかきっと」という思想は、言い換えれば「今は幸せじゃないけど」ということだ。
 いつかきっとはない、私は長年の生活を顧みてそう断言してよいと思っている。出された課題が辛抱することであるのと、自分から辛抱し続けることは違う。無駄に幸せを感じない時間を作らなくてもよいのではないだろうか。ミュゼ 未成年